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miwa様15本出品させていただきました。写真はだいぶサボらせていただきました。取捨選択していただければと思います。詳細画像が必要であればコメントください。ーーーーーーーーーーーーーーーー日本にひとつの類い稀なハンドメイドの煤竹耳かきです。【この耳かきの特徴】掻き部は約90度立ち上がっています。先端エッジは鋭く仕上げています。軸の後ろ側も研磨仕上げしています。軸は概ね四角です。全て削り出しと研磨です。永く愛着の湧く耳かきを探している方、是非どうですか?長年燻された煤竹のなんとも言えない味と光沢が有ります。永く付き合う『座右の一本』をぜひどうぞ!!一般の竹製耳かきは意外と早くエッジが鈍りますがこの耳かきは硬い煤竹の更に一番硬い表皮が掻き部のエッジになっていますのでエッジ性能が格段に長持ちします。軸部分は節、曲がり、古に付いた傷や文様があったり色も様々有ります。加工キズが残っていることもあります。これも趣だと思ってご容赦ください。【ご注意】掻き部は他に無いほどエッジが立っております。使い方によっては血が出ることもありますのでご使用にあたっては充分御考慮下さい。今までに無い「痒い所に手が届く」感動の一本になると思います。【メンテナンス】煤竹ですが普通の竹と同様に水には弱いので永年使う為には乾拭きでのメンテをお願いしますね。万が一折れた場合は修理も可能です。ご相談ください。画像はカメラのせいでコントラストが強く出て白がより白く写ることもありますのでご理解の程お願いします。⚫︎サイズはサジ部の幅で分類しています。☆ SSサイズ : 〜2.9 mm以下(極細サイズ)☆ Sサイズ : 3.0〜3.4☆ Mサイズ : 3.5〜3.9 普通サイズ☆ Lサイズ : 4.0〜4.4☆ LLサイズ : 4.5mm以上(極太サイズ)ご参考: 我家にあるダイソー様の竹の耳かきの幅は4.0mm程度です。爪楊枝の径は2.4mm程度です。#スス竹 #竹 #竹 #煤竹耳かき #みみかき #竹細工 #竹製耳かき #匠の技 #凄技 #誕生日プレゼント #子供用耳かき #ハンドメイド #高級耳かき #極細耳かき
カテゴリー:その他>>>日用品/生活雑貨/旅行>>>日用品/生活雑貨
商品の状態:新品、未使用
配送料の負担:送料込み(出品者負担)
配送の方法:らくらくメルカリ便
発送元の地域:広島県
発送までの日数:1~2日で発送

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古い絵葉書の時代判別法


いったい何年頃の浅草か?


 たまに「古い絵はがきの年代をどうやって調べるのか」と聞かれるので、以下、簡単にまとめておきます。
 さっそく上の絵はがきを見てほしいんですが。なんか白黒写真に小学生みたいなセンスで色が付けられてますな。非常に質の悪い絵葉書ですが、この写真の撮影年代を推定してみます。

 まずこの絵葉書が使用済みで消印があれば、その消印から投函日がわかります。しかし、裏返すと真っ白でこんな感じ。

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上の絵はがきの裏面


「萬国郵便聯合端書」とありますが、これはかつての官製葉書を意味しています。日本国内で葉書が販売開始になるのは明治6年(1873)ですが、明治10年(1877)に万国郵便連合(UPU)に加盟しているので、このハガキは1877年以降だと判明します。

 英語で「POST CARD」と書かれていますが、フランス語の「CARTE POSTALE」と書かれていることもあります。これは万国郵便連合の公用語がフランス語だからであって、年代推定にはあんまり役立ちません。

 その下に英語で「The Address only to be Written on this Side.」とあって、要はこの面には住所しか書いてはいけないと指示されています。かつて通信内容は白い面には書けず、すべて写真面の隙間に書いていましたが、明治40年以降、通信欄が認められました。

 つまり、白い面にある仕切り線で時代がわかります。

<通信面の仕切り線で判断する>

・通信欄の罫線がない   → 明治6年(1873)〜明治40年(1910年)3月まで
・通信欄の罫線が3分の1 → 明治40年4月〜大正7年(1918)3月まで
・通信欄の罫線が2分の1 → 大正7年4月〜


 以上のことから、まず1873〜1910年のものだと判明します。

 つづいて、写真面で判定します。
 基本的に戦前の絵葉書はモノクロですが、だいたい写真の印刷には2種類あります。1つは明治21年(1888)に小川一真が実用化したガラスによるコロタイプ印刷。もうひとつは同じく小川一真が明治27年(1894)に実用化した銅版(または鉛版)による写真印刷。
 違いはコロタイプが滑らかで濃淡がはっきりしてるのに対し、銅版は拡大すると網目になっている点です。
 拡大してみると、このハガキはコロタイプ印刷だとわかります。


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 絵葉書に色がついてるものは、モノクロ写真に職人が手で色を付けていった「手彩色絵葉書」で、明治〜大正初期のものです。大正12年(1923)の関東大震災以降、大量印刷が可能なオフセット印刷が普及したため、途絶しました。オフセット印刷は、絵柄を拡大すれば網点があることがわかります。

<色と印刷で判断する> 

・網点のないモノクロ(コロタイプ印刷)
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・モノクロの網点は銅版か鉛版の写真印刷
 → 1894年〜明治時代終わり(1910年くらい)まで
・カラーの網点があればオフセット印刷
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オフセット印刷

 以上のことから、1888〜1910年のものだと判明します。

 つづいて被写体から判別します。このハガキは浅草の仲見世を写したものですが、なんだか建物が立派ですな。明治初期の仲見世はバラックみたいな感じですが、これが明治18年(1885)に煉瓦造りに変わります。その後、関東大震災で破壊され、鉄筋に。写真で建物がピンクに塗られてるのは、レンガのイメージだったわけです。



左上拡大図
 
 左上をよく見ると、なんだか尖塔が見えます。これは明治25年(1892)に建てられた「梅園勧工場」です。勧工場はデパートの前身みたいなものです。


大正中期の仲見世(左は共栄館)


 で、上は大正時代中期の絵葉書ですが、手前に別の建物が建っています。これは明治27年(1894)に建てられた「共栄館勧工場」です。梅園と共栄館は同じブロックにあるんですが、絵はがきを作ろうというカメラマンが手前の時計台をわざわざ省くとは考えられないので、冒頭の写真は梅園が建ち、共栄館が建つ前の1892〜1894年の撮影ではないかと判断できます。おそらく、共栄館を作ったとき、手前の道路の幅を狭くしたんでしょう。


 以下、そのほかの時代推定テクニックを書いておきます。

 前提として、私製葉書の制式が告示されたのが明治33年(1900)なので、官製ハガキを除くと、絵葉書はすべて1900年以降のものです。
 年代推定で最もわかりやすいのが切手です。

<切手で判断する>

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・田沢切手=大正2年(1913)〜昭和12年(1937)
・乃木切手=昭和12年4月〜昭和21年(1946)
 
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・明治6年12月〜 全国1銭、市内半銭
・明治32年4月〜 1銭5厘
・昭和12年4月〜 2銭
・昭和19年4月〜 3銭
・昭和20年4月〜 5銭
・昭和21年7月〜 15銭
・昭和22年4月〜 50銭
・昭和23年7月〜 2円
・昭和26年11月〜 5円
・昭和41年7月〜 7円
・昭和47年2月〜 10円
・昭和51年1月〜 20円
・昭和56年1月〜 30円
・昭和56年4月〜 40円


左から菊切手、田沢切手、乃木切手


 上の田沢切手には「10」という消印が付いてますが、これでは大正10年か昭和10年かわかりません。
 そこで、次のポイントは「はがき」の文字です。

<「郵便はがき」の文字で判断する>
 戦前は右から左へ文字を書くのが普通だったので、「郵便はがき」と左から右に書かれていればすべて戦後です。

・「きかは便郵」明治33年(1900)〜昭和8年(1933)2月
・「きがは便郵」昭和8年2月以降、「はかき」に濁点がつきました
・「郵便はがき」戦後


 上の田沢切手は「はがき」となってるので、これは昭和10年だと判断できます。
 絵はがきの年代は、こうやって推定していくんですな。


 せっかくなので、被写体から時代判別する方法をもう少し書いておきます。
 絵はがきの内容が、博覧会のようなイベントだったり水害のような事件だったりすれば、資料を見れば年代は簡単にわかります。
 しかし、そうでない場合、建造物から判断するのが確実です。

 浅草の別の例で見てみます。


浅草公園の絵ハガキ


 まず上の絵葉書を見てほしいんですが、右手に巨大なランドマーク三つ折りポケットコイルマットレス ダブル 厚さ11cm 高密度ポケットコイルが立っています。これは明治23年(1890)に建造され、大正12年(1923)、関東大震災で崩壊しました。民間ハガキなので、このハガキは1900年から1923年の間だと推定できます。

 その隣に浅草国技館がありますが、これは明治44年(1911)11月に竣工し、翌年2月に開業。その後改装し、大正3年(1914)4月に活動写真の遊楽館に、大正6年(1917)に芝居小屋「吾妻座」となっています。そして、大正9年(1920)3月、火災で焼失しました。
 もう少し鮮明な絵ハガキだと建物の看板が見えるんですが、この葉書だとはっきりわかりません。ですが、映画や芝居の幟(のぼり)がないので、おそらく1914年3月までの撮影だと思われます。最悪でも1920年までの撮影です。
 つまり、このハガキは1911年11月から1914年3月(可能性としては1920年まで)の間です。

 一番左には浅草館がありますが、これは大正2年(1913)完成、大正5年(1916)キネマ倶楽部という映画館になりました。もう少し建物が写ってると、看板によってどっちだか判明するんですが……少なくともこの葉書は1913年以降だとわかります。
 
 以上のことから、この絵葉書はほぼ1913年の撮影だとかなりの確度で判明するのです。

 ちなみに浅草館ができる前、ここには浪花節で有名な清遊館という建物がありました。下がその写真で、日本屋根なのがわかります。


浅草の写真


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 まずこの写真は大正元年(1912)発行の写真集から転載したもので、当然、それより前に撮影されています。
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 手前は「ひょうたん池(大池)」。明治16年(1883)に掘削された人工池で、昭和26年(1951)、浅草寺が売却し、埋め立てられています。瓢箪池の噴水がいつできたかは当時の新聞を丹念に読んでいくしかないんですが、明治38年(1905)にはたぶん存在しておらず、明治40年(1907)には存在しています。

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 以上、絵葉書の年代推定マニュアルでした。ただし、例外もかなりあるので、注意してね!


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<おまけ、というか本論>

 冒頭の絵葉書は1892〜1894年の撮影だと推定しましたが、ここでちょっと問題が。明治36年(1903)に刊行されている『日本之勝観』に非常に似た写真があるのですが、はたして出版物に10年前の写真を使うでしょうか?
 結論から言うと、当時は写真が貴重なので、昔の写真を使うことは珍しくありません。が、しかし……?


『日本之勝観』より

 実は、この写真をよく見ると、とんがり屋根のすぐ右にもう一つ塔らしきものが見えます。じつは右が梅園で左が共栄館なんですね。共栄館は明治27年(1894)に開業しましたが、時計台ができたのは明治29年(1896)です。そして、明治30年代末に丸屋根の時計台に建て変わり、大正10年(1921)に壊されました。そう思ってみると、冒頭の絵葉書にもわずかに塔が並んでいるのが見えます。
 よって、冒頭のハガキは共栄館の時計台ができて改築されるまでの1896年〜1906年くらいだと判断できるわけです。
 2枚の写真の違いは、右手の家が消滅してるのと人力車があるかないか。おそらく、『日本之勝観』の写真が撮られ、その後、人力車の規制と家の建造があり、まもなく冒頭の写真が撮られたと思われます。

 僕の推測は以上ですが、皆さんはどう思うでしょうか? 重要なのは、結局、絵はがき1枚だと正確な判定は難しいということです。
 
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